ブラック企業論の問題点

 最近地元紙の紙面でも時折ブラック企業という言葉を見かけるようになった。先日自民党がブラック企業対策案を打ち出したこともあり、ブラック企業への関心は日に日に高まっていると感じている。

 しかし、ブラック企業に関する様々な議論や主張を見聞きしていると、どうやらブラック企業という言葉の定義は人によってかなり幅があり、その多くが主観的かつ抽象的であるような印象を受ける。そしてそうであるが故に議論が混乱し、どうにかしないといけないとは思っていても具体的な対策を打ち出せないでいるようにも思える。今回はそんな「ブラック企業の定義」をどうするかという問題に対して自分の考えを示し、また今後のブラック企業論のあるべき姿について自分なりの意見を述べてみたい。
注・現在勉強中の身の為、労働法に関する理解が十分でない点があるかもしれません。認識が誤っている点があれば指摘して頂けると大変有り難いです。


<主観に基づいたブラック企業の定義>

 先日ある民主党国会議員のタウンミーティングに参加したのだが、質疑応答の際に会場から「年功序列・終身雇用を廃止する企業がけしからん」という趣旨の発言があった。発言者は40代と思われる男性だ。この男性は発言にあたってブラック企業という用語は用いなかったが、様々な労働問題に触れた上で最近の日本企業(の経営者?)を「万死に値する」と強い言葉で批判していた。この男性の意見を参考にすると、ブラック企業の主観的な定義としては「年功序列・終身雇用の人事制度ではない企業はブラック企業だ」という主張も成り立ってしまう。

 ちなみに私は企業内福祉を前提としない社会を志向しているので、企業は年功序列・終身雇用制をとる必要はないと思っているし(それでも問題ない社会にするべき、という考え)、もっと言うとその弊害を考えるとこれらを止めてしまう方が良いのではないかと思うことさえある。これが私の主観である。もちろんブラック企業の定義として年功序列・終身雇用を用いるのにも反対だ。このように、主観的な基準を用いれば、私とタウンミーティングで発言した男性との間でブラック企業の定義について同意するのは困難であると言わざるを得ない。

 また、先日地元新聞でブラック企業の特集記事が載っていたのだが、その記事ではブラック企業の例として、<正社員なのに月何10時間残業しても残業代が出ず、手取り20万程の給料>という事例が挙げられていた。私がこの記事を読んだ時に抱いた率直な感想は、「これは違法とは言えないのではないか?」だった。

 残業代は毎月固定の金額を支払うことが認められている。月毎に異なる残業時間をその都度計算して正確な残業代を支払う手間を考慮した制度だ。実施するにあたってはいくら分が残業代なのかを明確にするといった規定はあるが、残業代を含んだ固定の給料を毎月支払うことは可能ということだ。そして残業代を計算する上でも土台となる賃金水準に関しては、最低賃金以上であれば法律上は問題ない。

 これらを踏まえて考えたところ、この記事からはこの事例の地域が分からなかったので最低賃金いくらが適用されるのかも特定は出来ないが、例えば労働基準法が定める週40時間の基準労働時間に加えて、厚生労働省が定める過労死ラインである月残業時間の80時間働いた場合(1か月を40時間×4週と仮定、深夜労働および法定休日の労働はないものとする)、地域別最低賃金が最も高い東京の時給850円で計算しても給与は月22万5000円ほどである。ここから税金や保険料を差し引くと手取りはおおよそ20万円程度になるのではないか。

 私の住んでいる高知県最低賃金が652円である。1の位を切り捨てて650円で計算させてもらうと、週40時間+過労死ライン80時間(その他条件は同上)では17万円ほどになる。残業時間が月110時間あたりになってようやく20万を越えてくる。手取りが20万を越えるとなると月130時間ぐらいは残業が必要になるだろうか。ワタミの過労死事件が月141時間の時間外労働だったそうなので、それに迫る数値である。

 もちろんこれはその記事から推測出来ること、可能性の話であって、実際どうなのかは分からない。ただ少なくともその記事では<正社員なのに月何10時間残業しても残業代が出ず、手取り20万程の給料>という事例をブラック企業の一例として持ち出したのであって、違法であるとは書かれていなかったように記憶している。(大変申し訳ないことにソースを紛失してしまいました。)


<政府のブラック企業対策の視点は>

 要するに何が言いたいかと言うと、世間一般でブラック企業として扱われている企業・労働環境の中には、実は全く違法ではないものも含まれている可能性が高いということだ。私が気になっているのは、違法行為を行っている企業はともかく、きちんと法律に基づいて労務管理を行っている企業までブラック企業という括りで捉えても良いのだろうかという点だ。一国民レベルでの議論ならともかく、国がブラック企業対策として社名公表などを行うという話になった時に、ブラック企業かどうかの基準として合法・違法以外の基準を用いても問題はないのか。

 最初に引用した記事でも『具体的な線引き基準の設定は困難との指摘もあり』とあるが、私も政策ということになるとブラック企業かどうかの線引きとして違法かどうか以外の基準を用いるのは難しいのではないかと思う。政府がまずやるべきことは違法行為を行っている企業の公表・摘発であり、それ以上の判断には踏み込まない。その替わり、離職率をはじめとする様々なデータの公表を義務付けて、それ以上の判断に関しては国民ひとりひとりに委ねるという体制はどうだろうか。

 個人的には36協定の内容を公開させるべきではないかと思っている。というかこれは使用者が労働基準監督署に提出するものなので政府も情報を持っているはず。わざわざ企業に公表を命じなくても政府が公表すれば良いだけの話に思えるのだが、何か問題があるのだろうか。よく分からない。とりあえず自分自身が求職活動をしていて、ハローワークの求人票にはもちろん労働条件として労働時間と時間外労働に関する表記はあるのだが、そんな事実かどうかも分からない情報よりも、いったいその会社は合法的にどこまで労働者を働かせることが出来るのか、つまり36協定はどんな内容になっているのかが気になって仕方がない。


<理想を創造しようとすること>

 話を元に戻すと、政府がそういった役割を担った上で私達がすべきなのは、各々バラバラの基準でブラック企業を定義し、ただ該当する企業を非難することではなく、どういう労働環境が望ましいのかを議論し、現行の労働法をその理想に沿った法律に書き換えていく努力をすることではないかと思う。例えば上記の<正社員なのに月何10時間残業しても残業代が出ず、手取り20万程の給料>という労働環境。いくら感情的には過酷な労働環境であり若者を使い捨てにしていると感じられたとしても、ブラック企業としての取り締まりの基準が現行の労働法に照らし合わせて違法かどうかであれば取り締まれない可能性が残る。

 しかし、もし例えば法律で最低賃金を時給1000円に引き上げられたとしたら。この企業は法律で定められた賃金を支払っていないことになる。あるいはもし労働時間規制として36協定の特別条項をなくし、現在1か月の延長労働時間の一応の限度と定められている45時間を何があっても越えてはならない限度にすることが出来たら。この会社の時間外労働にも1か月45時間というたががはめられる。その労働環境が現在は「違法ではない」からといってそこで議論をやめる必要はないのだ。
 
“「ブラック企業を何とかして」という悲鳴に耳を塞いでいいのか”
“ブラック企業の定義はやっぱり「違法行為をする会社」で決まりだ”
 その点で私が個人的にこれらの記事について主張内容には概ね賛成でありながらも物足りなさを感じるのは、筆者であるブラック企業アナリストの新田龍氏が現行の労働法を前提にした議論に終始し、「本来はどのような労働環境が望ましいか」や「将来的にはどのような労働法体系にしていくか」といった視点でブラック企業問題を語ってはいないからだ。

 ここまで主観的なブラック企業の定義を掲げることについてやや否定的な文章を書いてきたが、ブラック企業の定義が現行の労働法に照らし合わせて違法かどうかといった基準から乖離してしまいがちなのには様々な理由が考えられる。私はその中でも、この問題が多くの労働者にとってとても身近な問題であるにもかかわらず、関心がある人達の割合から考えると実際に労働法の知識をそれなりに持ちあわせていて何が違法で何が違法でないかをきちんと理解している人が少な過ぎるという実態があるのではないかと睨んでいる。

 実際に私の知人でも、36協定の存在を知らず週40時間以上の労働は全て違法だと思っていた人がいる。学生などではなく、少なくとも10年以上は働いてきた経験豊富な女性である。さすがにそれは極端な例だとしても、やはり問題の当事者とはいえ、一般の労働者が労働法の知識を獲得してあるべき社会を論じるというのには限界があるだろう。

 問題なのはむしろ十分な知識がある人が、知識がある故なのかもしれないが、現行法に照らし合わせた議論ばかりを行い、現行法の枠を取っ払い理想の社会を創造するという行為に携わらないことの方なのかもしれない。ブラック企業アナリストを名乗る新田氏は一般の労働者ではなかなか獲得出来ないような労働法の知識も豊富に持ち合せていることが容易に想像出来るので、その知識をふんだんに使って是非理想の社会を語って欲しいと思う人物のひとりだ。

<おわりに>

 最後になるが、ブラック企業問題とは異なるが、新卒一括採用の問題について正に私がこれまで必要性を訴えてきたようなアプローチを行おうとしているブログ記事を紹介したいと思う。私も時々コメントを投稿させてもらっている「就活生に甘える社会人」というブログの「茂木健一郎さんの「新卒一括採用」に対する見解を理解し損ねる飯田泰之さん」という記事だ。該当部分を引用させてもらう。

『現行の法律上は新卒一括採用が違法だとは思えないが、それでも「現在は合法でも、今日の人権規則に照らせば今後違法にしていくべきではないか?」という議論は十分成り立つ』

 つまりはブラック企業論にもそういった視点が必要なのではないかということを私は言いたいのである。現状の法律に基づいた線引きを踏まえつつも、今度どういった「線引き」に変えていくべきかを提案する。それが出来るように現在猛勉強中である。