『ブラック企業』を個人的に整理してみた

 

ブラック企業』と一括りに言うけれど…

 毎年恒例の流行語大賞に今年はなんと『ブラック企業』がノミネートされたようだ。惜しくも大賞は逃したようだが。

 ブラック企業という言葉がここまでの知名度を獲得したことは、日本の労働環境改善に向けた取り組みを進展させる上で大きな一歩だと私は素直に喜んでいる。(もちろん本当はこんな言葉、問題と共に存在しないのが一番好ましいのだが…)

 しかし前回の記事でも触れたように、これまでの巷のブラック企業論は問題を共有する上では一定の役割を果たしているが、いざ解決策を模索するとなると途端に議論が混乱してしまういくつかの要因があると私は考えている。前回の記事を補足する意味合いも兼ねて、今回は、現状『ブラック企業』として一括りにされて批判の対象になっている様々な事例をその原因によって2種類に区分する、という提案をしたいと思う。こうするとかなり議論が分かりやすくなるのではないか。

 それは(1)企業側(経営者・管理職、時には労働者自身が)が法律を守らないことによってもたらされる違法性のある過酷な労働環境と、(2)法律は順守しているが、そもそも法律で規定されている水準自体が甘い(労働者にとって厳しい)ので結果として過酷な労働環境になってしまっている違法性を問うのは難しいケース、の2種類である。

 具体例として賃金の問題を挙げてみる。「給料が安過ぎる!」という訴えがあったとしよう。サービス残業や残業代の不払いがあることによって法律上や契約上本来支払われるべき額よりも低い賃金しか受け取っていないのであれば(1)のケースだが、最低賃金以上で残業代もきちんと支払われているが、例えばそれが家族を養える水準ではない、といった法律とは別の観点からそれを「安過ぎる」というのであれば、そのケースは(2)に該当する。

 「法律とは別の観点から…」という言葉を使ったが、注意が必要なのがここに個人の価値観等を差し挟む余地があるということだ。具体的にどういった条件を過酷な労働環境と捉えるかは人それぞれだし、その各々の基準が法律上問題があるかないかという基準と一致するとは限らない。そしてこれは完全に私の主観的な基準で大変恐縮なのだが敢えて言わせてもらうと、前回の記事で細かい数字を挙げて紹介したように、日本では法律に違反しないかたちでも結構「過酷」な働かせ方が出来てしまうものなのである。

 個人的にはこういった区別がきちんとなされず様々な事例が『ブラック企業』という呼び名で一括りになって批判に晒されているのが現状のブラック企業に関する議論の最大の問題点だと思っている。



区別することの意義

 ではそもそも何故こういった区別が必要になるのだろうか?それは(1)(2)それぞれのケースで、批判すべき対象と解決する為のアプローチがまるで異なるからである。

 まず(1)のケースだが、ここで経営者が批判されるのは仕方がないだろう。法律を侵しているのだから。対策としても監督体制の強化や罰則の強化など、いかに経営者に法律を守らせるかという方向性になるのが自然である。

 問題なのは(2)のケース。現状これも経営者が悪いといった話になりがちだが、果たしてそう言えるのか?もし経営者が悪いとすれば、では対策はどうするのか?監督強化に罰則強化?法律を侵しているわけでもないのに?このように冷静に考えると無理のある点が多々あるのだが、それは恐らくブラック企業に関する議論がまだ成熟しておらず感情的でそういった細かい点まで考えが及んでいない場合が多いからだろう。

 ある労働条件について「法律上問題はないが過酷な労働環境なので改善の必要がある」と考えるのであれば、批判するべきなのはそういった環境を合法として認めている法律自体ではないのかと私は考える。法律自体に問題があると捉えることが出来れば、対策として必要なのは闇雲に経営者を批判することではなく、法律自体を望ましい基準に変更することだと分かるはずだ。

 そう考えると、過酷な労働環境を上記の2種類に分類する上で、本来『ブラック企業』と呼ぶべきなのは前者のケースであって、後者についてはむしろ規制する法律自体に問題がある事例として『ブラック労働法』とでも呼ぶのが妥当かもしれない。

 実際に私自身労働法を勉強する中で、自分の中での過酷な労働環境の基準と、法律上の線引きがずれていることが多々ある。とりわけ労働時間規制に関して。そういった部分については改めて法律上の基準線を引き直す為のアプローチをしていかなくてはいけないといつも考えさせられる。経営者批判にはしるのは非常に短絡的だと思う。



ダンダリンを通して思ったこと

 この法律上の基準とそれ以外の基準のギャップという問題に関しては、もうひとつ別の視点から捉えてみると面白いのではないかと思う。最近毎週水曜の夜は労働基準監督官の仕事を描いたドラマ『ダンダリン』を楽しんでいるが、このドラマでは監督官に乗り込まれて法律違反を指摘された経営者が「不況なんだから仕方ない!」「労働法を守っていたら会社が潰れてしまう!」「労働者は権利ばかり主張しやがって!」などと逆ギレするのが定番のようになっている(気がする)。

 こういった主張に関しては、これまでの持論を裏返しにして、不況だからといった法律とはまた別の観点から法律上守るべきとされている労働条件が妥当ではない(経営者にとって厳しすぎる)と言うのであれば、経営者は自分達が理想とする基準に法律を変える為の努力をすべき、と言うことも出来るのではないか。それこそ労働基準法廃止デモでもやればいい(笑)

 それを「労働者は権利ばかり主張しやがって!」などとただ文句を言うのは、結局のところ、法律上は問題がない企業を主観的な基準を持ち出してブラック企業のレッテルを貼ってやたらと経営者批判を展開する論理と本質的には何ら変わらないのではないかと思わずにはいられない。

 ちなみにダンダリンではそういった経営者の主張に対して、監督官が「経営が上手くいかない(法律が守れない)のは経営者のあなたが無能だからじゃないんですか?その責任を労働者に押し付けるのはやめて下さい!」といった反論をするのがこれまた定番のようになっているが。



 と色々と書いてきたが、何故ブラック企業論が経営者批判にはしりがちなのかという点に関しては、また別の分析を加える必要があるように感じる。それはまた別の機会に挑戦してみたい。